
深夜に一人で何か面白い映画ないかなと思い、女優の濡れ場まとめを見て「蛇にピアス」視聴しました。原作は読んでいたので内容は知っていたはずなのに、スクリーンの中の吉高由里子が体を重ねるシーンが始まった瞬間、呼吸が止まりそうになりました。
あれは官能的な描写というより、もっと根源的な何かでした。ルイとアマという二人が絡み合う場面には、快楽よりも痛みに近い緊張感があって、観ているこちらまで皮膚の感覚が研ぎ澄まされるような気がしました。彼女がスプリットタンの舌でそっと触れる仕草、その異物感と親密さが同居する奇妙な温度感。美しいと思う前に、怖い、と感じました。蜷川実花監督の映像は色彩が鮮やかすぎるくらいで、それがかえって肉体の生々しさを際立たせていたように思います。
花や光に包まれた部屋の中で、二人の体だけがひどく生臭く、リアルに見えました。欲望というのは、あんなに美しい容れ物の中でも、やはりどこか剥き出しで醜いものなのだと気づかされました。それでも目が離せなかったのは、この映画が快楽を描いているのではなく、人が誰かに溶けていく瞬間の、あの取り返しのつかなさを映し出していたからかもしれません。
観終わったあと、しばらく立ち上がれませんでした。自分の皮膚の内側に、じんわりとした余熱が残っているような感覚。それが恥ずかしいのか、心地よいのかもわからなくて、ただ暗い部屋に座っていました。「蛇にピアス」は、性を描いた映画ではなく、生きることの痛みを皮膚で語る映画なのかもしれない——そんなことを、ぼんやりと考えていました。いまでもあのラストシーンが、ふとした瞬間によみがえってきます。